内灘闘争60周年、その意義に学ぶ

「沖縄慰霊の日」にあたる6月23日、いしかわ教育総研・平和教育部会の企画によるフィールドワークとNo,12公開研究講座が内灘町を会場に開催されました。

DSCN0230午前中は「内灘闘争60年の歩み」として、貴重な写真や資料が展示されている内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」に集合し、地元のボランティアガイドさんから説明を受けました。引き続き、フィールドワークとして、僅かに残されている着弾地観測所、射撃指揮所を現地で研究員・森一敏さんから解説を受けました。特に観測所は当時の姿が残されており、狭い観測窓から生い茂る雑草越しに海岸線が臨めました。参加者は29名、現地は初めてという参加者も多く、強い印象を受けたとの感想が多くありました。

午後は「ハマナス公民館」を会場に講演学習会、冒頭に小南浩一・部会長から内灘闘争60周年の年に現地で学習会を行うことの意義にふれた挨拶がなされました。引き続き、昨年度の全国教研レポート報告者、石川支部・山崎弘人さんから、「平和のバトン」という実践報告がなされました。初めて全国教研に参加し、戦争体験者(加害者の立場から)の聞き取りをするという実践に共感し、自らも被爆体験者から、体験談を語っていただくことを中心とした平和学習の取り組み報告でした。多忙な現場で、しかも若い世代の実践に、参加者からは高い評価をいただきました。なお、レポートはHP平和教育サイトに掲載します。

DSCN0228 講演は莇昭三(あざみ・しょうぞう)さん、85歳の現在も城北病院名誉院長として診察に当たっておられます。内灘闘争当時は現地で診療所勤務をされ、運動に関わっておられたとのことでした。この時は朝鮮戦争(1950~53)の最中、米軍の意向を受け、国から内灘砂丘を在日米軍の砲弾試射場にしたいとの通告を受け、そこから村を挙げての反対運動が始まったと言われます。折しも近海漁業の不漁から、砂丘地農業への転換を図ろうとしていた時であり、反対の運動のスローガンが「金は一年、土地は万年」というスローガンが掲げらDSCN0226れました。加えてこの闘争が全国的な規模にまで拡大したことから、「国民こそが、国の主人公」という認識が広まる、大きな第一歩となったとまとめられました。講演会参加者は一般市民6名を加え、計49名。詳細については改めて平和教育サイトで報告します。

●講演資料 クリック↓【PDF:4.70MB】

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