格差社会の中で教育を考える・教育キャンペーン集会

11月15日、「格差社会の中で教育を考える2014県民集会」が県立音楽堂を会場に開催されました。この活動は、04年に当時の47教育基本法が改悪の危機にある中、広く地域・保護者に訴えるために、県内各種団体が「県民の会」を結成し、集会を中心としたアピール行動を続けているものです。
集会の前に金沢駅前広場で、11月9日の武蔵・香林坊に引き続き街頭アピールを行いました。今、国の2015年度予算の文科省概算要求に対1411 教育キャンペーン1し、財務省が小学校1年生に実施されている35人以下学級を、その効果を疑問視し、40人学級に引き戻そうとしていることへ抗議するため、署名・シール投票行動も並行して行いました。日曜日の駅前ということもあり、全国からの旅行者も足を止めて私たちの訴えに応えていただき、署名はこの3カ所で259筆を集めることができました。

 今こそ、教育条件整備が急務!
講演「日本社会の変容と教育の課題」
講師 本田 由起さん(東京大学 教育社会学)

1411 教育キャンペーン2今日の教育課題を分析するには、日本社会がこれまでどのような歩みをしてきたのか見るべきだ、その節目が1973年のオイルショックと1991年のバブルの崩壊時期だ。その時代をすべてくぐり抜けてきた「団塊世代」は、働き盛りが経済の高度成長時代と重なり、多くの雇用に支えられてきた。その世代も今は65歳、大量退職の時期を迎えている。
低成長期が長く続くなかで、雇用が上向いているのは決してアベノミクス効果ではない。高度成長期を支えてきた仕事・家庭・教育を繋ぐ「戦後日本型循環モデル」(※図参照)が90年代以降に破綻をしてきたのは、国は産業政策としてセーフティネットを切り下げたことで、仕事が多層化し、非正規雇用の増大から、低賃金や劣悪な労働条件が拡大している。
そのことから、教育への家計支出に格差を生み出した。この国の教育への公的支出は一貫して世界最低水準であり、それを家計支出で補ってきたことがこの事態を生み出してしまった。
教育の場には学びの意義が失われている。「学力」とそれによる選別が存続してきたことで、現在の生活や将来の仕事に意義を見いだす具体的な知識やスキルを形成機会が少なく、そのことが学習意欲の低下に繋がっている。
まずはこの社会全域による組み替えが必要であり、従来型の仕事・家庭・教育の循環モデルも双方向的な関係を作るべきである。例えば仕事と家庭ではワークライフバランスや男女共同参画の確立、家庭と教育は保護者や地域に「開かれた学校」で繋がり、教育と仕事はいつでも教育の場に戻れるリカレント教育が保障されるなどの仕組みが必要だ。国は職業訓練や社会体験の機会を増やす「アクティベーション」施策を打ち出しているが、一方では生活保護の取得率を低く抑えるなど、肝心のセーフティネットができていない。
最後に初中等教育の変革が必要とされ、学力保障に留まらず、社会認識や自己認識など、子どもたちのエンパワメントにつなげる教育、子どもたちの背後にある家庭の困難を捉え、様々な支援に結びつけられる、それを可能にする教職員の定数増や向かい合う子どもの数を減少させるなどの条件整備が急務である。

戦後日本型循環モデル    1411 教育キャンペーン3

 

katudoimg

contac01

itiran-bot

kyozailink

アーカイブ

Count per Day

  • 183790総訪問者数:
  • 26今日の訪問者数:
  • 66昨日の訪問者数: