元海軍少年兵「バカな戦争だった」

6月14日、「平和教育」部会が主催するフィールドワークと公開研究講座が金沢を会場に開催されました。部会ではこの間、戦争史蹟を訪ねるフィールドワークと戦争体験者による講演会を続けてきています。

午前中のフィールドワークは40名が参加し、「軍都」として一時期“繁栄”した金沢の町に残されている軍関係施設の案内を森一敏・金沢市議にお願いしました。まずは歴史博物館、かつては陸軍兵器庫、戦後は美術工芸大学として使用され、今も交流体験館には頑丈な基礎部分が見られるようになっています。また県立能楽堂に隣接して、旧陸軍偕行社と第九師団司令部庁舎が残されています。移築や一部が取り壊されてはいますが、床の風通しに陸軍のマークが残されているなど、当時の面影や権勢が十分うかがえます。最後は大東亜聖戦大碑、2000年8月に石川護国神社前に建てられたものですが、アジアへの侵略戦争をアジア独立の聖戦と謳っています。この碑には設置経過の問題性や刻銘の無断使用などがあり、撤去を求めた運動も続いています。金沢市は「平和文化都市」として、全国に発信されていますが、このように、アジア侵略の拠点として役割を果たしてきた事実も広く伝えていくことの大切さを改めて確認しました。

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午後は金沢市内在住の星野啓次郎さん(86歳)に「元海軍少年兵がたどった路」とのテーマで講演をお願いしました。参加者は80名、会場(近江町交流プラザ)ほぼ満席となりました。星野さんは当時の徹底した軍国主義教育の中、14歳で海軍航空隊・特年兵に志願、鹿児島県国分に配属され、敗戦までの2年間の軍隊生活を語られました。鉄拳と「精神注入棒」なるバットでたたき込まれた軍人勅諭、基地からは次々と若い特攻兵が出撃するという理不尽な体験を、「バカな戦争だった」と怒りを込めて訴えられました。当時の指揮官や戦争指導部がいかに責任を取らずに生き延びてきたか、戦後70年、再び戦争への動きが懸念される事態となり、「まだゾンビが生き残っている」と糾弾されました。部会では、今回もDVDによる教材化をお願いしており、平和教育に活用されるよう期待しているところです。

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