学校現場への「統制」にどう抵抗するか

8月18日~19日、教育文化総合研究所(略:教育総研)の研究交流集会が開催され、いしかわ教育総研から、事務局長の古河、事務局員の脇坂が参加しました。教育総研は今年4月に一般財団法人となり、前身の国民文化研究所(民研)が発足して以来60年が経過し、新たなスタートを切ったことになります。挨拶に立った池田賢市・所長は「先日公表された教育課程に関する中教審の審議のまとめに見られるように、教育内容ばかりでなく、教育方法や評価の仕方についてまで『標準』が設定され、学校現場での教職員と子どもたちとの人間関係のあり方が統制されようとしている」「教育総研は一般論に陥らずに問題把握に努めていきたい」と決意を述べました。

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全体会は今教育総研が進めている2つの委員会(教職員の自己規制と多忙化・貧困と子ども・学力研究)からの審議経過報告、シャーナリストの工藤律子さんからは、スペインでの「時間銀行」という考え方=お金を使わずに社会的連帯の経済ネットワークを築いている事例の紹介、がありました。全体会では最後に「OECDの教育観・Education2030とのかかわりを考える」とのディスカッションが持たれ、とかく私たちがこの国の教育状況を分析するときに引用するOECD資料ですが、今日の発想には、貧困や差別などを生み出している今の社会構造そのものの変革を課題にする方向性は見えてこないという、OECDの変容が指摘されました。

2日目は分科会、古河は「真の意味での『貧困の連鎖(たまつき)』とは何か?」に参加。ここで、参加者に問われたこと、①「学力をつけたら貧困から抜け出せる」と思うか?②「学校教育は貧困の連鎖を解消できる」と思うか?③「将来の社会がどうなっているか分からないとしても、教員は目の前の子どもの学力を向上させることが大事だ」と思うか?です。アンケート結果は写真の通りですが、いわゆる貧困対策としてなされている施策がどうなのか、改めて問い直す議論が進められました。

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脇坂は「震災、原発、原発震災」に参加し、その報告と感想を以下に記載します。

テーマ「なぜ原発事故が起きてしまったのか?~原発を求め、維持し続けた社会の有り様と教育の根本を見直す」(以下文責; 脇坂弘明)

 日本が、国策として原子力利用に舵を切ったのは1954年。安全神話を作り上げながら日本社会に原発が入り込んでいった根底には、どういった日本社会の有り様があったのか。日本は欧米の文化をうまく取り入れて利用してきたが、取り入れた科学はそれぞれが独立していて交流することはなかった。だから、専門外の事は専門家や国に任せておけば良いという考えがある。「餅は餅屋」。このことは原発ムラの存在を許してきたことにもつながる。さらに政治の世界だけでなく、議論して意思決定するのではなく、水面下での根回しや取引が本当の仕事であると言う世界がどの分野にもあったことも原因と考えられる。そんな中で国家に有用な人材育成としての教育が行われてきたことが、この体制を堅持するための大きな力となってきたと考えられる。

 しかし、現代はトランス・サイエンスの時代となり、合意形成の仕方を変えていかなければいけなくなってきている。科学では判断できない事は、餅屋ではない我々も合意形成に参加しなければいけなくなってきている。こういった新しい合意形成の価値観となるのがソフトパスという考え方である。一例をあげれば、時間の価値は、効率や時間を優先するのでなく、のんびりゆっくりを優先する。教育は、工業化社会を進めるための基礎力、問題解決型の学力を目指す訓練の場としての教育ではなく、生きる基本を身につけ、発見の喜びや力を身に付ける出会いの場としての教育となるべきである。 とすると、交流集会1日目のOECDのエデュケーション2030の批判がそのまま当てはまることになる。 原発に関しては、また、新たな安全神話が築かれようとしている。同じ過ちを繰り返さ繰り返さないためにも、新しい時代を担う政策決定に積極的に参加していける市民を育てる教育が必要になってくる。

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