教科書の「教材化」にとり組もう

   

    11月23日、金沢市ものづくり会館を会場に、「公正な教科書採択を求める市民集会」(呼びかけ人、田村光彰・二俣和聖・川本樹)が開催されました。この集会は、2015年に県内3市で中学校社会科教科書に育鵬社が採択されたことから、再びこうした事態とならないよう、県内教育関係市民で構成する「子どもと教育を考える・いしかわ市民の会」(事務局・教育総研)が、県内市民に広く呼びかけて学習会を開催しているものです。会場には県教組組合員に一般市民、退職教員や報道関係者等、116名が参加しました。

   講演は池田賢市さん(中央大学・教育文化総合研究所所長)にお願いしました。テーマは「教科書をめぐる実践的課題と問題点」。池田さんはまず、学習指導要領の変遷に触れ、それが時々の時代(社会)の要請によるものであり、教育が社会に出ていくための準備と位置づける「教育の保守的機能」と、一方では社会変革の手立てとなる「教育の革新的機能」がある。現状では前者「保守的機能」ばかりが重視され、このことが教科書にどう反映されているか考えて見たい。学習指導要領の変遷に触れ、当初の学校現場の自主性尊重が、全国統一の内容の習得に、さらに経済発展のための人材養成、詰めこみ教育への反省から「ゆとり」教育へ、これが学力低下批判につながり、現在は再び教科や内容の増加、さらに今回の改訂では教育方法や評価まで規定するに至っていると指摘されました。
 今回の改訂の背景には2006年の「改正」教育基本法があり、家庭教育のあり方を規定したり、企業や警察等、様々な社会的組織が公教育に関与することを可能とするなど、教育の民営化や中立性の侵害などが懸念される。また、改訂の前提に「社会の急激な変化」「予測不可能」な事態への対応という、OECDの教育理念を忠実に体現している。つまり、権力行使しうる側の「言いたい放題」になり、学校現場に「足し算」ばかりが要求され、多忙化に一層の拍車がかかる。また、社会の要請は「感性」とされ、これが内心の自由を侵害することにつながり、道徳の教科化がこの具体化だとされました。

 この学習指導要領の基に教科書が作られており、検定基準には閣議決定の内容が反映させられ、教材とは言え、使用義務も課せられることから、学校現場の課題を反映させる授業作りが難しくなっている。しかし、教材である以上、改めて「教材化」し直すことは各教員には任されているはずだ。多忙化の中でも「子どもたちの姿・生活」を入れ込んでいくことが大切だとされました。最後にすでに教科となっている小学校道徳教科書の「有名教材」を「人権」という視点で捉え直すと何が見えてくるか、として1年「かぼちゃのつる」、2年「およげないりすさん」、3年「お母さんのせいきゅう書」などが取り上げられました。他の学習会で、「読むだけで害のある教材ってあるのですね」との感想を受けたとの紹介がなされました。

  

 パネルディスカッションに入り、パネリストとして小中学校2名の現職教員が登壇し、学力向上で数値結果が求められる教育現場の状況、多忙化のなかで自主的教材が導入できるのか、教科書使用のしばりがあるのか、等について率直に発言いただきました。その中で教材を工夫する時間が持てないことや授業時間にテスト対策で過去問等が今も授業時間を使って実施されていることが明かされました。今の教育現場では様々な形で、「競争」が強いられ、しかも「見える化」が求められている。子どもたちの息苦しさや自己肯定感が低くなっていることにもっと眼を向けることの大切、会場との意見交換の中で指摘がなされました。

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