NHK「第二能登丸のそうなん」放送

平和教育部会の角三外弘研究員からの次のお知らせがありました。

NHKテレビ(金沢局)が「能登と戦争」を取りあげます。放送予定日などは次のようになっています。

8月12日(木)18:30のニュースで5~6分

①富来沖に停泊していた輸送船が潜水艦の魚雷攻撃で沈没した事件

②敗戦直後の七尾湾での第二能登丸の触雷事件

すでにWEBで番組と同内容のものが公開されています。下記のサイトです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210804/k10013175771000.html

*七尾市の平和展が8月3日~13日まで、七尾駅前パトリア4Fフォーラム七尾で開催されます。紙芝居「第二能登丸のそうなん」も展示されます(4,8,9,11日はフォーラム七尾の休館日のため、展示も休み)。

以下は放送内容の説明です。

富来沖で輸送船が魚雷攻撃を受けて沈没した事件について

 1945(昭和20)年6月12日、富来沖に停泊していた輸送艦4隻(謙譲丸、陽山丸、瑞興丸、咸鏡丸)のうち、咸鏡丸を除く3隻がアメリカの潜水艦2隻による魚雷攻撃を受けて沈没した。輸送艦の乗組員30人が犠牲になった。アメリカの潜水艦は、太平洋戦争開戦後から太平洋側へ入ってきていたが、1945年になると日本海側の港湾へ物資へ運ぶ船をねらって潜水艦による魚雷攻撃をする。その一例が富来の事件であった。日本海軍はアメリカの潜水艦が日本海へ侵入するのを防ぐために、1945年3月に、日本海の入口にあたる対馬海峡に機雷堰を敷設し、何重もの阻止線を作った。しかし、アメリカの潜水艦は機雷堰をかいくぐって日本海へ侵入した。

日本周辺の日本軍とアメリカ軍の機雷敷設

1 日本軍の機雷は繋留・触発機雷

 1941年11月から日本軍は海域や港湾の防備のために機雷を敷設した。日本軍が敷設したのは海底の繋維機(アンカー)から繋維索(ワイヤ)で繋がる繋留(繋維)機雷である。触発機雷といわれ、船で敷設したものである。

2 米軍投下の沈底・感応機雷 

いっぽう、米軍が日本周辺に機雷を敷設したのは1945年3月以降であり、瀬戸内海と関門海峡が多い。アメリカ軍は、機雷投下を「飢餓作戦」と呼んだ。中国や南方から日本国内へ物資が入るのを止めるのがねらいであった。そのために、関門海峡や瀬戸内海に艦船を入れないように機雷を敷設したのである。米軍は飛行機からパラシュートをつけて投下し海底に沈めた(沈底機雷)。機雷は磁力や音響を感知して浮上し艦船を爆発させるのである。感応機雷とも呼ばれるゆえんである。こうした方法で米軍は、関門海峡や瀬戸内海に集中的に機雷を敷設した。

3 瀬戸内海から日本海側の港湾へ 米軍の機雷投下作戦

 瀬戸内海が封鎖されると、艦船は日本海側へ向かわざるを得ない。敦賀(福井県)や七尾、伏木、新潟、酒田、船川(秋田県)などの港湾に機雷が敷設されるのである。 いっぽう日本軍が米軍の艦船の侵入を防ぐために機雷を敷設したのは主に太平洋側である。米軍は太平洋側から攻撃すると考えていたからであろう(左の米軍と日本軍の機雷敷設地図を参照)。1945年になると日本海にも米潜水艦が侵入するようになり、対馬海峡に機雷堰を敷設する。しかし、アメリカの潜水艦はその機雷をくぐって対馬海峡から日本海へ侵入し、富来の輸送船事故などが起きている。

 

 

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