平和教育

内灘町の歴史民俗資料館「風と砂の館」を見学し「内灘闘争」DVDを視聴した後、内灘町役場に移動してシンポジウム「これからの内灘闘争」に参加しました。金沢大学の学生が廃寮をめぐる取り組みを通して、自治を体現する意識について発表しました。テレビ番組の「ムシロ旗と星条旗 ~あなたのまちに基地があったら~」も紹介されました。
内灘闘争年表

平和教育研究部会では寺澤環日教組国際部長からウクライナの教育のようすについてお聞きした。国外に避難した後、子どもたちはその国に残っている。教育インターナショナルでは、近隣国のポーランドなどの各受入国の言語と母国語での教育を難民子ども向けの教材を開発して行っている。ウクライナでは、国外をふくめリモートで可能な地域で対面でも授業を行っている。西部では学校を避難所として食べ物と居場所を提供し教職員が運営に協力している。日本の子どもたちには、この戦争から最大の人権侵害が行われていることや、報道ではウクライナの被害ばかりが伝えられるがロシアも国でなく個人では反戦活動家もいることを考えてほしい。
角三外弘研究員からは、戦争のときの機雷はアメリカのものだけでなく日本海を流れてロシアや日本のものも能登半島に漂着することがあると考えられること、沈没した船に乗っていた中の朝鮮の方の遺体を、富来の住職が自分の家の墓に埋葬した話を紹介された。

平和教育公開研究講座は3年前から予定していたものが、コロナ感染予防や小松の大雨災害のためようやく実施することができました。九条の会・小松の池田 喜久さんは、小松基地爆音訴訟に関わってこられました。これまでの住民と基地との歴史などをお話くださいました。1975年にF4EJファントム戦闘機が配備されることになり、自衛隊機の離着陸差し止めを求め周辺住民12名により全国で初めて基地を相手とする訴訟が提起されました。また、1982年に日米共同訓練が実施されたことから「自衛隊・米軍違憲論」を掲げて第2次訴訟を提起しました。配備の前には旅客機の大型化を理由にファントムの重さに耐えられるように滑走路のかさ上げが行われた。今も滑走路を2本に増設しようとする動きが出ている。専守防衛のはずの戦闘機が、空中給油機によってアラスカの訓練に参加したり、ステルス性のF35が新たに配備されようとしている。敵基地攻撃能力の必要性が唱えられているが、基地が存在する小松の危険性がさらに増すことを危惧されていました。

10月22日 日教組平和集会が開催されオンライン中継がありました。午前中は高校生平和大使のウィーンでの活動報告や日教組国際部の寺澤さんから「ウクライナの現状について」の特別報告がありました。400以上の教育機関が破壊され、子どもたちは200人が死亡130人がロシアに連れ去られました。ウクライナから1300万人が国外に避難し600万人が再び国内に戻りました。国外に残っている9割は子どもや女性でありオンラインでの授業を行っています。今後の課題は子どもたちのメンタルヘルスと教育施設のインフラ再建とのことです。午後からの記念講演では長崎県原爆被爆教職員の会の山川さんが子どもの頃の戦時下での学校や防空壕でのようす、9日の被爆体験を話されました。

「平和でしずかな空をとりもどしたい」

       ~小松基地爆音訴訟~

会場がボランティアセンターとなったため中止(延期)としました

8月11日(木)10時

第一地区コミュニティセンター

(小松市白江町ツ108)

講師 池田喜久さん

*どなたでも参加することができます

 

 

平和教育研究部会の角三さんが取材を受け戦争加害の問題が紹介されます。

1 放送する局  NHK

2 放送予定日 7月21日(木)夕方18:10からのローカルニュース「かがのとイブニング」

3 内 容 ① 七尾への中国人強制連行  ② 遺骨をあずかった大乗寺さん

     ③ 中国人と交流した七尾の人たち ④ 一衣帯水碑…七尾での追悼行動など

*映像ライブラリー「七尾と戦争」で公開講座が視聴できます。

七尾への中国人強制連行について

 太平洋戦争末期に、日本は閣議決定で強制連行(「内地移入」)政策を進めました。日本各地の鉱山や炭鉱、ダムなどの土木・建築現場、港湾や造船所など135の事業場におよそ4万人の中国人が連行され、働かされました。そのうち、およそ7千人が日本で死亡しています。

 石川県の七尾港にも399人の中国人が連行され港湾労働に従事させられました。苛酷な労働、食糧・栄養不足、不衛生な環境の下で、死亡者15人、失明者64人が出ています(事業場報告書)。

 日本の敗戦後、中国人は要求闘争を行い、七尾の町は大混乱に陥りました(「七尾華工事件」)。1945年10月に中国人は七尾を離れ12月上旬には天津へ着きます。その後、1977(S52)年には一衣帯水碑(日中友好碑)が建立され、毎年8月15日に追悼の法要がいとなまれています。

                                                                     平和教育研究部会の研究員である角三外弘さんはHPでも紹介した七尾でのフィールドワークや公開講座の講師を務めていただいたり、平和に関する報道などにも関わってこられました。この度、これまでの調査をまとめ出版されましたので総研では平和教育の資料として購入し県教組各支部の平和教育担当者のところに置く予定です。貸し出しや購入の希望がありましたら総研までご連絡ください。

TEL 076-263-2368

E-mail : info@sokenishikawa.com

北陸中日新聞 左をクリックして拡大記事

 

 

 

 

平和教育研究部会では小松市の湯浅治男さんからお話を伺った。湯浅さんは1932年に生まれ今年90歳になられるが、13歳の8月に終戦を迎えた。小松からも富山や福井の空襲での爆弾の投下や真っ赤になった空を見ることができた。爆撃機は白山の上空を通過するため、落下兵への竹やりを準備していたが小松基地から離陸する戦闘機は迎撃でなく避難のためであったことを後から知った。近所の子が小松基地にグライダーの訓練に行っていたが、京都の山から大阪湾の敵艦に突っ込むためであった。戦争が終わり学校が変わってしまったことに、これまで教えられてきたことに騙された思いで反発していた。高校の定時制の生徒が書いた「疑えよ諸君」という張り紙を見て、先生も同じだったのかという気持ちに変わった。上の兄は大学生の時に海軍の戸塚に軍医として召集された。終戦後は小松で医療に携わっており福井地震のときには救援にも行っていた。数年後に結核を患い抗生物質が手に入らず母と共に命を失った。戦争によって本人や周りの人たち多くの人の運命が変えられてしまった。当時の貴重な話を聞くことができたが、このような経験を残していくことは喫緊の課題である。

平和教育部会の角三外弘研究員からの次のお知らせがありました。

NHKテレビ(金沢局)が「能登と戦争」を取りあげます。放送予定日などは次のようになっています。

8月12日(木)18:30のニュースで5~6分

①富来沖に停泊していた輸送船が潜水艦の魚雷攻撃で沈没した事件

②敗戦直後の七尾湾での第二能登丸の触雷事件

すでにWEBで番組と同内容のものが公開されています。下記のサイトです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210804/k10013175771000.html

*七尾市の平和展が8月3日~13日まで、七尾駅前パトリア4Fフォーラム七尾で開催されます。紙芝居「第二能登丸のそうなん」も展示されます(4,8,9,11日はフォーラム七尾の休館日のため、展示も休み)。

以下は放送内容の説明です。

富来沖で輸送船が魚雷攻撃を受けて沈没した事件について

 1945(昭和20)年6月12日、富来沖に停泊していた輸送艦4隻(謙譲丸、陽山丸、瑞興丸、咸鏡丸)のうち、咸鏡丸を除く3隻がアメリカの潜水艦2隻による魚雷攻撃を受けて沈没した。輸送艦の乗組員30人が犠牲になった。アメリカの潜水艦は、太平洋戦争開戦後から太平洋側へ入ってきていたが、1945年になると日本海側の港湾へ物資へ運ぶ船をねらって潜水艦による魚雷攻撃をする。その一例が富来の事件であった。日本海軍はアメリカの潜水艦が日本海へ侵入するのを防ぐために、1945年3月に、日本海の入口にあたる対馬海峡に機雷堰を敷設し、何重もの阻止線を作った。しかし、アメリカの潜水艦は機雷堰をかいくぐって日本海へ侵入した。

日本周辺の日本軍とアメリカ軍の機雷敷設

1 日本軍の機雷は繋留・触発機雷

 1941年11月から日本軍は海域や港湾の防備のために機雷を敷設した。日本軍が敷設したのは海底の繋維機(アンカー)から繋維索(ワイヤ)で繋がる繋留(繋維)機雷である。触発機雷といわれ、船で敷設したものである。

2 米軍投下の沈底・感応機雷 

いっぽう、米軍が日本周辺に機雷を敷設したのは1945年3月以降であり、瀬戸内海と関門海峡が多い。アメリカ軍は、機雷投下を「飢餓作戦」と呼んだ。中国や南方から日本国内へ物資が入るのを止めるのがねらいであった。そのために、関門海峡や瀬戸内海に艦船を入れないように機雷を敷設したのである。米軍は飛行機からパラシュートをつけて投下し海底に沈めた(沈底機雷)。機雷は磁力や音響を感知して浮上し艦船を爆発させるのである。感応機雷とも呼ばれるゆえんである。こうした方法で米軍は、関門海峡や瀬戸内海に集中的に機雷を敷設した。

3 瀬戸内海から日本海側の港湾へ 米軍の機雷投下作戦

 瀬戸内海が封鎖されると、艦船は日本海側へ向かわざるを得ない。敦賀(福井県)や七尾、伏木、新潟、酒田、船川(秋田県)などの港湾に機雷が敷設されるのである。 いっぽう日本軍が米軍の艦船の侵入を防ぐために機雷を敷設したのは主に太平洋側である。米軍は太平洋側から攻撃すると考えていたからであろう(左の米軍と日本軍の機雷敷設地図を参照)。1945年になると日本海にも米潜水艦が侵入するようになり、対馬海峡に機雷堰を敷設する。しかし、アメリカの潜水艦はその機雷をくぐって対馬海峡から日本海へ侵入し、富来の輸送船事故などが起きている。

 

 

平和教育部会では昨年、9条の会小松の池田さんを講師として小松基地爆音訴訟に関しての公開研究講座を予定していましたが、新型コロナ感染予防から今年に延期しています。

小松基地へは2025年までに、F35A戦闘機が4機配備される計画になっています。現在使用しているF-15戦闘機より大型であり騒音も1割以上大きい111デシベルを超えるようです。また、レーダーに捕捉されないステルス性があり、航続距離5千㎞以上の戦闘能力から専守防衛ではなく敵基地攻撃が可能な基地となりえます。

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