平和教育

2019年度 フィールドワーク・公開研究講座

アジアの人たちとの友好・連帯を求めて


 

 

 

 

   
 
      6月30日、七尾鹿島労働福祉会館にて、平和教育部会の公開研究講座が開催されました。講師として部会研究員でもあり、長年にわたり地元七尾の戦争の歴史を掘り起こしてきた角三外弘さん(七尾強制連行問題を調査する会代表)にお願いしました。学習会には教育総研研究員、組合員に、地元「九条の会」のみなさんも加わり、計47名が参加しました。
 角三さんはまず、「第二能登丸のそうなん」についてふれ、石川県には大きな空襲被害がないとされているが、この七尾湾には米軍が多数の機雷を敷設した。敗戦直後の1945年8月28日に、「第二能登丸」という挽き船がこの機雷の爆発により、28人が死亡した。その事実を、角三さんは現職の時から仲間と調査を続け、当時子どもたちが制作したジャンボ紙芝居が2014年になり市が主催する平和写真パネル展に展示され、広報にも掲載されたことが紹介されました。
 また、角三さんは太平洋戦争末期、七尾港にも強制連行により399人の中国人が荷役として働かされていたことを長年にわたる調査で明らかにしてきました。生存者を訪ねて中国へ渡り、2005年からの訴訟支援にも取り組みました。調査の中で当時の過酷な労働や食糧不足の中での厳しい生活環境により15人が死亡、64人が失明したことを明らかにしてきました。訴訟は2010年に最高裁での敗訴となり、生存者も少なくなりましたが、一方では日中友好協会が「一衣帯水碑」を建立(1977)するなど、今日まで友好関係が続けられているとのことです。
 最後に、角三さんは慰安婦、徴用工などの問題から、現政権の歴史認識が問われている。アジアの人たちとどう連帯していくのか、徐京植(リ キョンシク・作家)さんの、「日本国憲法九条は『再び侵略はしません』という国際公約である」という言葉を紹介され、まとめとされました。

 これより先、午前中は大雨に見舞われる中で、21名の参加でフィールドワークが実施されました。七尾港埠頭前、2017年に移設された「一衣帯水」碑、そして過酷な労働で死亡した中国人15人の遺骨を預かり、今も位牌を前に供養が続けられている大乗寺を、角三さんの案内で順次見学しました。また、講演会の前段には昨年度全国教研に参加した、岡村保子さん(金沢支部)から、レポート報告がありました。岡村さんは途絶えていた全校平和集会を子どもたちと創り上げた実践を紹介され、参加した若い組合員にも共感を持って受け止められていました。

 

2018年度 フィールドワーク・公開研究講座

「鶴彬の願いに学ぶ」かほく市高松 浄専寺

 6月23日、平和教育部会が主催する公開研究講座をかほく市高松「浄専寺」で開催しました。会場には河北支部中心とした組合員に教育総研関係者、地元市民を加え、40名が参加しました。講師には同寺の前住職で「鶴彬を顕彰する会」の幹事も務めている平野道雄さんにお願いし、当地出身の川柳作家・鶴彬(本名・喜多一二、1909~1938)の生涯とその願いについて講演いただきました。
 鶴彬は29年の短い生涯で1000余りの反戦川柳を残し、治安維持法で2回検挙され、最後は東京の野万署に収監のまま獄死しています。平野さんは境内に句碑「胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき」を建立したのは、戦時下において教団(大谷派)が過ちを犯した歴史があり、自由と平等を説いた親鸞の教えとは違っていた反省からと紹介されました。鶴彬は17歳で大阪の町工場で働くが、その時に労働者・民衆が非人間的な扱いをうける現実に遭遇し、国策に翻弄された民衆の悲しみを川柳として「吐く」ようになったとのことです。
 平野さんは今の時代、戦争を知らない大人が多くなり、政治ベクトルが右に動いている。戦争体験が忘れられそうな時代だからこそ、歴史を振り返ることが大切になっている。とかくお任せ民主主義といわれる中で、改めて平和の敵は戦争だけでなく、無関心も平和の敵だと指摘されました。顕彰会ではかほく市内の小学校で埋葬地岩手盛岡の研究者を招いた特別授業を続けていることも紹介されました。

 講演会に先立ち、午前中は20名の参加で、鶴彬の句碑を巡るフィールドワークを実施しました。顕彰会メンバーの案内で、生家跡(喜多家)、高松歴史公園、そして鶴彬資料室、ここでは鶴彬の波乱の人生をパネル展示や2009年制作のドキュメンタリー映画「鶴彬 こころの軌跡」関連資料などが会員の手作りで展示されています。
 今年は没後80周年にあたります。「非暴力と平等の精神」を川柳で貫いた詩人の存在を新ためて学習することの意義を確認できた公開講座になりました。

2018年提言・あらゆる場面で平和学習を

「新たな平和教育」に関する提言(改訂版)

2018.3.1
いしかわ教育総合研究所   平和教育研究部会

1.はじめに 

 日本国憲法前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とある。私たちは、これまで70年にわたり、日本国憲法の精神を具現化し、外国との戦争を回避してきた。国連加盟国中、戦後、戦争を回避してきた国は、数カ国しかない。わが国が戦後、憲法9条の下、紛争・戦争に直接参加しなかったことは紛れもない事実である。しかし、国際情勢は、その間、冷戦対立の深刻化とともに東西陣営の接点である朝鮮・ベトナム・ドイツなどにおいて悲惨な戦争や国家分断というかたちで対立が続いた。と同時に米ソを中心とした核兵器による軍拡が頂点に達した。冷戦終結以降、東西対立による戦争・紛争が沈静化する一方で、対立の構造が地域紛争へと変化してきた。また、9.11以降、「テロとの戦争」を標榜し、米国とその同盟国は自国の戦争を正当化してきた。
    ノルウェーの平和学者ガルトゥングは、戦争や紛争の背後にある第三世界における貧困や飢餓、抑圧と差別などの克服が地球的規模での社会正義実現につながると訴えた。そして、従来からあった平和の概念を「消極的平和」であるとし、「構造的暴力の除去された状態」を「積極的平和」とする新たな視点を提起した。安倍首相の唱える「積極的平和主義」=武力で相手を押さえつける「平和の論理」とはまったく正反対である。現実に、国際社会においては、飢餓、難民、貧困、テロ、民族の差別など平和に関する多くの課題が発生している。戦後70年にして安保関連法が成立したことにより、自衛隊が米国と共に戦争に参加することが現実のものとなった。

 

2.「平和教育」の現状と課題

 県内では、「8.6、8.9を中心とした平和教育」が実施され、定着化している。学校全体や学年、学級でさまざまな工夫された取り組みが報告されている。また、この「平和教育」が親子二代にわたって県民に意識化されている。このことは、私たちが進めてきた「平和教育」が長きにわたって、全県的に幅広く実践され、支持されてきたことを証明している。このような県は、全国的にも極めて稀有な特筆すべき存在である。しかし、学校現場の多忙化や裁量の余地が失われたカリキュラム編成、長年「平和教育」を担ってきた教職員の退職や若手教員の意識の変化などにより、「平和教育」を組織的に実施することが難しくなってきたことも事実である。また、従来から、節目日を中心とした「平和教育の通年化」がすすめられてきたものの、実施が困難な状況にあることも現実として認識しなければならない。

 

3.提言
(1)平和教育の視点 
  平和教育の歴史的視点には、以下の5点が挙げられる。
 ① 「15年戦争」における沖縄戦、広島・長崎の原爆による被害に象徴される被害体験を原点とする。
 ② 明治以降、日本の近代化に伴う、侵略戦争やアジアへの植民地支配、「15年戦争」を侵略と加害の問題としてとらえる。
    ③ 朝鮮・ベトナム戦争に象徴される、冷戦における米ソ対立の代理戦争に対する歴史認識も重要な課題である。
    ④ 冷戦終結以降、地域紛争や内戦の激化による難民、飢餓、貧困、テロなどの国際的な新たな問題が発生している。
 ⑤憲法改正の動きに係わる「9条と平和主義」軍事大国にならないための歯止めの崩壊、沖縄基地問題など、現代日本が抱える諸問題を平和の視点から学習する。
(2)「平和教育」から「平和学習」への移行 
   戦争の被害や加害を教師の側が教える「平和教育」から戦争や「平和の問題」について子ども達が問題意識を持ち、主体的に調べ、考え、発信する「平和学習」への発展を提起する。
     日教組は2001年発刊の『これが平和学習だ!!』において「教え込む平和教育から子どもが主役の平和学習」として、「体験的参加型学習」を提唱している。
(3)学習の場の多様化
 学習の場の設定としては、以下のような場面を通じて実施されると考えられる。   
 ①総合的な学習(国際理解、地域学習、格差問題、貧困、テロなど)
 ②社会科(地理;広島、長崎、中国、朝鮮半島、環境問題など、歴史;近(現)代史、                                         
        公民;憲法学習、平和主義、国際理解など)、理科(環境問題、原発など)、国語科・英語科・美術科・音楽科・道徳(平和教材など)
 ③学級活動(節目日など)
 ④特設の時間(全校・学年集会)
 ⑤学校行事;文化祭、修学旅行(広島、長崎、沖縄)
(4)行政との連携
 県内の市町では、「平和都市宣言」、「非核都市宣言」が決議され、2018.2.1現在「平和首長会議」には11市8町すべてが加盟(2016.3では15市町)している。中には、行政機関が独自に平和に関する取り組みを実施しているところもある。
(七尾市;平和写真パネル展、野々市市;中学生の広島派遣、かほく市;鶴彬顕彰会支援、白山市;長崎戦争原爆被災展、金沢市;平和パネル展) 
   それら自治体宣言文の教材化や、自治体事業と学校における「平和教育」との連携が求められる。今後とも、石川県民主教育政治連盟に所属する議員や県教組が推薦する議員とともに地域ぐるみの平和に関する取り組みが追求されるべきである。
(5)「平和教育」の継承
 戦後70年を経て、戦争体験の継承が困難な状況になっている。こうした状況下、いしかわ教育総研平和教育部会では、ここ数年、公開研究講座「戦争体験を語り継ぐ」を実施し、直接戦争体験者の話を聞き、これらをDVD化してきた。これらの視聴覚教材等も活用して、戦争体験を風化させない取り組みが必要である。また、いしかわ総研研究員による憲法や歴史問題にかかわる講師団の出前講義なども大いに活用されたい。
 一方、戦争体験の継承とともに、平和教育実践の継承もまた重要な課題である。教育研究集会の場のみならず、日々の授業のなかで、経験豊かな教職員の実践が、若い世代に継承される機会が図られることが必要である。

4.むすびに
  2015年9月、集団的自衛権の行使を認める安保関連法が成立、2017年6月には共謀罪の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法が成立した。アジアで2000万人以上、日本で310万人もの犠牲者を出した無謀で悲惨な戦争を二度としないという決意のもとに日本国憲法が成立した。その戦後の原点がいまや否定されようとしている。米軍の指揮の下に日本の自衛隊が海外に派遣されることが可能となったのである。また、2018年、この冬は連日「平昌オリンピック」の報道がなされ、学校現場では日本選手団の活躍を授業で取り扱うよう指示が出されたと聞く。2020年・東京オリンピックに向けて、過剰なナショナリズムが鼓舞されることも懸念される。  
 我々は、今一度、憲法の精神に立ち返り、立憲主義のもと、個人が尊重され、一人ひとりの能力が最大限に発揮され、「平和のうちに生存する」ことが出来るような社会の構築を目指さなければならない。
 ユネスコ憲章は「人の心に平和のとりでを築く」と謳っている。戦争の悲惨さに対する「想像力」と自らが平和をつくる「創造力」をもった自立した市民の養成こそ、平和教育の究極的な目標となるであろう。
    いしかわ教育総研は、現場で奮闘する教職員や市民と連携し、上記の提言が実践されるよう期待する。

【参考】
 〇「平和学」ガルトゥング博士の紹介(2015.8.20北陸中日新聞)
 〇平和首長会議  ホームページ http://www.mayorsforpeace.org/jp/outlines/ 

 

2017年度 フィールドワーク・公開研究講座

憲法九条、世界に通ずる真理

     

   6月25日、加賀市を会場に教育総研平和教育部会が主催する、フィールドワーク(F.W)と公開研究講座が開催されました。
   午前中のF.Wは地元の佐藤公男さん(平和工房・江沼の郷)に案内をいただき、市内の平和史蹟を巡りました。まずは現錦城小学校近隣の防空壕跡、当時の軍需工場施設だったとのこと。「憲法九条の碑」は三谷小学校のグラウンド外れにあります。午後の講師である西山誠一さんが私有地に1992年に設立したものであり、子供たちにも平和の精神を伝えたいとの思いだったとのことです。さらに残された奉安殿、南郷小学校、庄小学校の2カ所です。奉安殿は戦前・戦中、消失を恐れて校舎外に「御真影」や教育勅語謄本を保管したものであり、終戦とともにGHQ司令により、そのほとんどが解体されましたが、加賀市では趣旨や形を変えて残っています。現政権が教育勅語を再び教育の場に復活させようとしている中で、改めてその意味を考えてみる機会となりました。
 午後は現職組合員に総研研究員が加わり、42名が参加する中で講演会が開催されました。講師には加賀市在住で靖国訴訟の原告団に加わっている西山誠一さん。西山さんは父・政勇さんが日中戦争で負傷、その後1940年に死亡、42年に靖国神社に合祀されました。西山さんはこの靖国神社は、かつての誤った戦争を正当化し、戦死を賛美するような施設で、戦没者を「鎮護国家」の神とするものだ。父親も現憲法下に照らせば戦争犯罪者であり、中国や東南アジアの人々に申し訳なく、耐えがたいことだとし2005年に「合祀取消」を求める訴訟団に加わったとのことです。また、首相が公式参拝を行うことなど許せないことで、小泉首相の参拝に違憲判断が出されているにも係わらず、2013年に安倍首相が参拝を行ったことをきっかけに、「首相公式参拝違憲訴訟」にも参加していいます。西山さんは憲法九条が過去から未来へ、全世界に通ずる真理であり、九条を護ることが私の「愛国心」だと主張されています。
 後段は全国教研平和教育分科会に参加した德野守吾さん(能美支部)から、平和集会のとりくみ実践が報告されました。全国的には全校登校日で平和集会を実施している県が多くないことを知り、現場ではマンネリとの声もある中で、継続してきたことの意義を感じていると述べました。参加者とも平和教育実践の交流がなされ意義ある学習会となりました。

 

2016年度 フィールドワーク・公開研究講座

戦争の不条理を改めて学ぶ

  

 9月25日、平和教育部会が主催する公開研究講座が金沢市内を会場に開催されました。

午前中は野田山・県戦没者墓園でフィールドワーク、30名が参加しました。講師は教育総研所長の田村光彰さん、テーマは「戦争と墓地」。この野田山には戊辰戦争(1868年)以降の戦死者が祀られており、全国的にも珍しいとのことでした。加賀藩は薩摩・長州藩の会津討伐に加わり、その戦没者がこの陸軍墓地の一角に多数残されていますが、すべて個々の遺族が造ったものとなっています。その後、日清(1894年)・日露戦争(1905年)を経て、特にロシア人捕虜を丁重に扱い、ロシア人墓地も残されています。しかし同時期の中国大陸の戦地では日本軍は捕虜を取ることはせず、虐殺事件を繰り返し起こしてきたとのことであり、対アジアと対西欧とでは扱いの違いがあったことが指摘されました。この時期からは政府が墓碑の建立に関わるようになり、この墓園では、それぞれの戦争ごとの墓碑が建ち並んでいますが、死後も階級別、戦死・病死別など扱いを分けていることも指摘されました。また、墓園に隣接して韓国の独立運動家・尹奉吉の暗葬碑があります。当時の朝鮮半島の植民地政策がどのような状況にあり、この行動をどう捉えるべきなのか、問題提起もありました。墓碑をめぐることで戦争の惨禍を考える貴重なフィールドワークになりました。

 午後は会場を変えて、公開研究講座を参加者50名で開催しました。講師は旧満州からの逃避行を、生き残った者の使命として語り部活動を続けられている「北陸満友会」会長の宮岸清衛さん。宮岸さんは10歳時に、ソ連国境付近の黒河からの家族と別れて列車を乗り継いで、日本にたどり着いた体験を語られました。侵攻したソ連兵の行状や「残留孤児」になるかどうかという体験を通し、旧満州に在住していた日本人を「棄民」した国の不条理を訴えられました。

後半は小松支部の沖谷嘉江さんから全国教研参加報告。広島への修学旅行を続け、担当を分掌に明記して学年ごとに系統的に平和学習を続けており、この取り組みは学年だよりを通して保護者にも共感を得ています。教育総研では昨年度、「今後の平和教育」について提言をまとめ、こうした実践の継承が課題としてきましたが、沖谷さんの報告で1つの方向を示すものとなりました。なお、今回のフィールドワーク、公開研究講座についても、本瑞昭(映こま主宰)さんにDVD化をお願いし、平和教材化を行い、HPには初めて動画としてUPしました。

 

 2015年度「新たな平和教育」に向け提言  

あらゆる場面での実践を期待

「平和教育部会」では2015年度、年間通した研究課題を「新たな平和教育への提言」を取りまとめることとし、この第4回の研究部会で最終確認を行いました。 提言では、安倍政権が、あの安保関連法を強行採決したことで、憲法や平和の危機が現実のものとなっている、しかも県教組が30年来取り組んできた「平和教育」の実践も様々な要因で、困難な事態を迎えている、この状況のもと、改めて「平和教育」の意義を訴えたものとなっています。具体的には①「平和教育」から「平和学習」へという視点、②様々な場面で展開できる学習の場を指摘、③行政が進めている施策は活用できる、など、これまで進められてきた形を継承しながらも、新たな展開を提唱しています。
写真は2016.6 金沢フィールドワーク、公開研究講座から DSCN5256 DSCN5253

 DSCN5258 DSCN5259

2015新たな平和教育の提言(PDF)  
平和学者・ガルトゥングの主張(PDF)    

 

 2014年度を総括して   

  戦後70年、新たな視点で「平和教育」を

       「平和教育」部会長 小南浩一

 DSCN3009 2014年12月14日、衆議院総選挙が行われ、自公与党が過半数を制した。選挙期間中はほとんど触れなかった憲法改正につき、安倍は14日夜、与党が大勝したことを受けて、「憲法改正に向けた議論を推進する考えを表明した」(『朝日新聞』2014年12月15日)。 総選挙の勝利によって、今後4年間に最大の政治課題である憲法改正が、いよいよ現実のものとなった。 第一次安倍政権は戦後レジュームからの脱却を掲げた。安倍は言う。「占領下で教育基本法と憲法が成立し、戦後体制が整った。いまだに続いているのは占領時代の残滓だ」(『朝日新聞』2006年9月8日)。「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくりかえていくこと、それは精神的にも占領時代を終わらせることになる」(自民党機関誌「自由新報」2005年1月4・10日号)。
 そして教育基本法の改正に成功した。残るは憲法である。第二次政権は当初96条改正を打ち上げたが、自民党寄りの憲法学者からも反対され、実現にはなお時間を要するとみたのか、正面からの憲法改正ではなく、「違憲立法」の策定や解釈改憲などによって実質的憲法改正へと舵を切った。それが、国家安全保障戦略室の設置であり、特定秘密保護法の制定であり、集団的自衛権の行使容認、武器輸出禁止三原則の緩和等である。  そしていよいよ、2015年春以降、国会で安全保障法制が議論される予定である。アメリカと情報(秘密)を共有し、自衛隊を海外に派兵して、米軍とともに戦う「積極的平和主義」国家としての「強い日本」を作ることが、安倍首相の言う戦後レジュームからの脱却の実態である。軍事面のみならず経済面でも「強い日本」をつくるために、雇用の自由化や特区構想などあらゆる規制緩和を目指す新自由主義政策が強化されるであろう。そして、こうした「強い日本」を支える日本人の育成が安倍教育改革の課題となるであろう。
 このように安倍内閣は憲法に基づく平和と民主主義の基本姿勢を大きく転換しようとしている。こうした状況下、総研として平和教育はいかにあるべきか?  今年は戦後70年であり、広島、長崎の被爆70年の節目の年でもある。総研としては広島、長崎の原点を大切にしながら、戦争体験を継承していきたい。同時に、現代のグローバリゼーションによって生じている貧困や格差、差別や抑圧などの構造的暴力の視点からさらに平和学習を深めてゆきたい。

 

 2014年度公開研究講座 

フィールドワーク          山中温泉医療センター 防空壕
「ヒロシマを語り継ぐ」講演・西藤康広さん(加賀市在住)


 6月15日、今年度はじめての公開研究講座を開催しました。会場は加賀市、午前中は山中温泉医療センター周辺でフィールドワークを開催、案内人は地元加賀市9条の会・佐藤公男さん。この地はかつての山中海軍病院、当時の海軍旗の掲揚塔も現存し、近くの源氏山には傷病兵を避難させるために終戦直前に掘られた防空壕が残されています。出入り口が狭くなっているものの、手彫りの通路を過ぎると、内壁がモルタル塗りのかなり広い空間、手術室とも言われるが、佐藤さんによれば実際に使われたかどうかは定かではないとのことです。いずれにしても貴重な戦争遺跡、平和を語り継ぐ上で貴重、保存に努めていきたいと語られました。
 午後は公開講座、前半は現場からの実践報告、平和教育が難しくなっていると言われる中で、劇とインパクトのある絵を使った伊藤邦夫さんの実践が紹介されました。持ち込まれた福井空襲体験者の聞き取りから、描かれたという巨大な絵は説得力を持ったものであり、伊藤さんにお願いすればお貸し戴けるとのことでした。 講演は加賀市山代在住の西藤康広さん、西藤さんは疎開先から原爆投下後10日目に市内に戻り、被爆された。その時の光景はすさまじいものであったと言われます。その後、自らも体調異変を感じるようになったが、忘れたいとの意識から被爆者であることは隠し続けました。しかし、身内の不幸が続き、子どもにも先立たれたことが、自らの被爆が原因と考えるようになり、05年に朗読劇「ここ子たちの夏」を見たことが、封印を解かれたきっかけとのことです。西藤さんは現政権の動向を懸念され、2度と戦争は起こしてほしくないし、言えるときに言っておきたいと力強く語られました。
  146 山中3 146 山中1

146 加賀2

 

講演をDVD化、平和教育に活用下さい。
DSCN3072教育総研では、この貴重な証言を小松市の映像作家・本瑞昭さんに依頼し、DVD化していただきました。DVDは2種類、午前中の山中温泉医療センター近くの防空壕をめぐるフィールドワークと西藤さんの証言全記録の収録(2時間28分)と、講演のみのダイジェスト(28分)があります。ブルーレイ版もセットされており、特にダイジェスト版は子どもたちへの平和教育に活用しやすくなっています。 各6組を教育総研が保管していますので、ご連絡下さい。

 

  2013年度を総括して 現場教職員の皆さんへ  

安倍政権の進めようとする「教育改革」に対抗して、現場での実践を強めていこう!

平和教育研究部会長 小南浩一

13小南  2013年1月24日、教育再生実行会議の初会合で安倍首相は、「強い日本を取り戻すためには、日本の将来を担う子どもたちの教育の再生が不可欠だ」と挨拶した。下村文相はもとより、教育再生実行会議のメンバーは八木秀次(育鵬社版教科書の執筆者)、加戸守行(育鵬社教科書を採択させた前愛媛県知事)、曽野綾子(沖縄戦で集団自決の軍命令の否定に奔走)など安倍首相と歴史観を共有する人々を中心に構成されている。
 通常国会では教育委員会制度や教科書検定制度の見直しなどが議論される模様である。教委の権限を自治体の首長に移すのは橋本大阪市長の前例があるが、教育の政治的中立性をそこなう大きな問題である。憲法26条は、戦前の反省から国家教育権を制限し、子ども自身の教育への権利を保障するものである。1976年の旭川学力テスト事件の最高裁判決は次のように述べている。「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習する権利に対応し、その充実をはかりうる立場にある者の職務に属する」「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない」。 ここには、子どもの教育の一義的な担い手は国家ではなく、教師であること、国家が一方的な観念を子どもに強要することの禁止が説かれている。さすれば、安倍政権のめざす「教育再生」は憲法違反の政策と言わねばならない。   自民党は選挙公約で「教育基本法が改正され、新しい学習指導要領が定められ」たが、「多くの教科書に、いまだに自虐史観に立つなど、偏向した記述が存在します。真に教育基本法と学習指導要領に適った『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するための教科書で、子どもたちが学ぶことができるよう』教科書制度を改革します」と謳っていた。 その実現が、尖閣諸島や竹島を「我が国固有の領土」と教え、近隣諸国条項や教科書検定基準の見直であろう。そして、こうした背景に「宮沢談話」のみならず、「河野談話」や1995年の「村山談話」に与しない安倍政権の「歴史認識」があると思われる。
 ところで、教科書採択の現場はいまどのような状況になっているのか。一つだけ例を挙げておこう。東京都教育委員会は、2012年3月末、高校教科書の検定結果を公表した。ところが4月に入って、産経新聞が「おかしな教科書検定」と題したコラムを連載したことが契機となった。記事は実教出版の『高校日本史A』を「日の丸・君が代」問題で不適切な記述があるとして問題視していた。それを受けて、高校教育指導課は日本史A採用予定の17校長に圧力をかけ、結局、実教出版の『高校日本史A』は採択ゼロになったという。こうした圧力はひとり東京都のみならず、多くの自治体で報告されている。教科書を現場の教師に実質的に選ばせるのではなく、行政の意を受けた教育委員会にその権限を与えようとするものである。教委制度の見直しはこのように教科書採択とも連動している。
 こうした安倍内閣がすすめようとしている「教育改革」に現場の教職員はどのように対応すればいいのか。例えば、先述の尖閣諸島や竹島を「我が国固有の領土」と教えるという文科省の通達に、現場はどう対応すればいいのか。それは単に上から知識として「我が国固有の領土」と教えるのではなく、それらの歴史的な経緯や、日本側の主張のみならず、中国や韓国の主張を吟味することによって、児童や生徒に「考えさせる」授業の実践が求められる。 直接、児童生徒にかかわる教職員の力量が今ほど問われているときはないのかもしれない。教職員の皆様が憲法(特に13条と26条)と1947教育基本法の原点に立ち返って、奮闘されるよう総研としても微力ながら支援していきたいと思っています。  

 

2013「平和教育」公開研究講座
講演「内灘闘争を語る」    莇 昭三さん(城北病院名誉院長)
DSCN0233 第2次世界大戦が終わった頃、内灘村(現在の内灘町)の人たちはほとんどが漁業をして暮らしていました。しかし、この頃、近くの海では魚が獲れず、多くの漁民は県外へ出稼ぎに行っていました。村の人々は、内灘の砂丘地を国に払い下げてもらい、植林や土地改良などをして緑の畑に変え、野菜を育てたり、魚を獲ったりして豊かなくらしの村にしたいと考えていました。1949年に石川県が「この砂丘地を内灘村に払い下げる」ことを決めました。(一部略)ところが、1952年9月、朝鮮戦争の影響を受け、この砂丘地が米軍の砲弾試射場になってしまいました。土地が払い下げられるものと思っていた村は大騒ぎとなり、地元の村民やまわりの金沢市、宇ノ気町、七塚町でも反対運動が起こりました。(石川県教組 人権・平和・環境・共生 教材集Ⅱ2004年 より抜粋) 当時、若き日の莇 昭三さんは地元診療所勤務をされ、この内灘闘争にかかわり、その貴重な体験を語っていただきました。
 以下に掲載する資料は、当日の講演に使われたパワーポイント画像を提供していただいたものです。

●講演資料 クリック↓【PDF:4.70MB】 pawapo-utinada


学校現場からの報告・山崎弘人さん

DSCN0232

講演に先立ち、学校現場からの報告を石川支部・山崎弘人さん(冨陽小)にお願いしました。 山崎さんは戦争体験者から直接体験談を聞くことを中心とした平和教育を実践、そのレポートを昨年度の全国教研で報告しました。今回の公開講座で改めて報告を頂き、参加者からは「単に悲惨さだけを伝えるのではなく、戦争を繰り返さないために、できることを共に考えていくことが大切だと感じた」「若い先生が純粋な気持ちで子どもたちと向き合い、体験談を子どもたちと共に先輩から学ぼうとする姿に感動した」などの感想が寄せられました。
「平和のバトン」(2012年度全国教研レポート  PDF)  136 「平和部会」公開講座感想 PDF

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